2017年3月14日火曜日

新・相生橋 OBだより109号(2017年4月1日号)掲載

 「冬来たりならば春遠からじ」(PBシェリーの詩。西風に寄せる公面歌の一節)辛い時期を乗り越えれば、良い時期は必ず来るというフィンランド人が、冬が来たばかりだのに遠い春待ちに寄せる有名な歌曲の一節である。日本でも寒い地方の人々の冬への気持ちは、同じであろう。今年の二月の冬将軍には悩まされたが、鳥取や真庭では雪害がニュースになったほどだった▼そんな厳寒を体感しつゝも、必ず「光の春」は訪れてくれるのが、日本の美しい春の営みである▼春といえば梅と桜であるが、正月に香気を漂わせる臘梅が可憐な黄色な花をつけ、二月に白梅が一輪二輪と咲くにつれて、春の足音が遠くで聞こえるようになる。白梅が過ぎると紅梅に代わって、冬と春との交代が始まり春爛漫を迎えるのである▼梅は、中国江南省が原産であって、奈良時代遣隋使の帰朝と仏教の渡来人が伝えた。当時から現在まで梅は、薬用として寺社に植えられ、神仏行事の一つとして梅干と切花として育てられた。一方では、梅樹の姿が庭園や日本の家屋に溶込む樹として植えられ、樹齢が百年という梅もある。盆栽としても多用される梅は、どこの家庭でも常備食として愛用される梅である。梅干の種を割ると白い粒が出てくる。寺の住職だった父は、この粒を「白観音さんだ」と言って食べさせようとしたが、断った少年時代のことをふと思い出した▼桜については、春の王者の花であるが、その散りザマはあっけない。花見の桜はほとんどが、江戸時代末に、東京葛飾吉野村で、「オオシマザクラとエドヒガン」が交配されて育ったソメイヨシノの桜である。他の桜に比べて成長が早く、花芽が多く満開の姿は、花木の王者である。しかし、害虫に弱くその上樹齢五十年と短い。しかし、江戸時代から最も人々に親しまれたこの桜は、各地に名木を残し、多くの人を呼んでいる三大名桜を表にしてみると次のようになるが、四番目が落合町の醍醐桜とは言ってくれない。この桜守りは、昔から落合町の「春名家十三戸」で守っておられると聞いた。その春名夫妻と思われし老人二人が毎週ETV3(金21時)「新日本風土記」の始めのテロップで写し出されるので…。


(H29・3月記 コラムvol.14編 日本コラムニスト倶楽部会員 R・T)