2016年7月14日木曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑭ ~石黒 章子さん~




 援護事業功労者表彰を受けられた

 石黒 章子さん
 一九九六年(平成8年)退職

 2016.2.8事務局来所(野田雄一郎)



[野田]          
この度は、厚生労働大臣から援護事業功労者表彰を受けられ、誠におめでとうございます。
多年にわたり援護事業に貢献されたことが認められた証だと思います。
今回の受章までの経緯を教えてください。


[石黒]          
 結婚後、夫の理解を得て中国デザイン専門学校で洋裁教師の資格を取得(昭和46年3月)、その後岡山県立操山高校専攻科の教職についていた時に労働大臣検定一級技能士(婦人子供服製造)の資格取得、昭和55年には職業訓練指導員検定を受けて資格取得しました。
 昭和56年4月に岡山県立倉敷高等技術専門学校に採用されました。昭和62年、中国からの帰国者が入校したのを機に中国語の勉強を始め、会話ができるようになったので、退職後直ぐ中国帰国者自立指導員と身元引受人をしました。
 身元引受人は平成11年3月までの3年間でした。最初一家族7人を引き受け、2年後に次女の家族3人を初めて高速道路を大きな車クラウンで神戸港まで迎えに行きました。荷物が沢山で車のトランクがやっと閉まりましたが、中も後方が見えないほどで、やっとの思いで帰路につきました。その時は使命感で一生懸命で岡山に無事帰ることができました。車中では歓喜に満ちた中国語が飛び交っていました。私には何を話しているのかよくわかりませんでしたが興奮している様子でした。
 また、平成15年からは、中国帰国者の日本語学習支援事業「遠隔学習課程」スクーリング講師(スクーリングとは日本語が話せない帰国者の為に生活に必要な日本語の支援をすること)をしています。スクーリング講師として受章したのは全国でも私が初めてです。


[野田]          
長年、自立指導員とスクーリング講師をしてこられたのが認められたのですね。


[石黒]          
 平成27年12月8日に授
章式が行われました。この日の受賞者は93名で、ほとんど戦没者遺族援護の方で、引揚者援護功労者は私だけでした。表彰式の後、厚生労働省近くの法曹会館でお世話になった東京事務所の方と昼食をとり、午後から皇居内一般公開の紅葉を見学しました。美しさと感動を受賞の副賞として心にとめておきます。


[野田]          
専門の資格を取り、それを仕事に生かし、仕事が縁で中国語を話せるようになり、スクーリング講師として全国初の表彰を受けられたんですね。


[石黒]          
 これからも健康でいられる間は帰国者の為に役に立ちたいと思い、支援通訳・支援相談員としてもっともっと勉強をしたいと思っています。

[野田]          
私たち後輩に対して何か伝えたいことはありませんか。


[石黒]          
 皆さんもご存じだと思いますが、中国帰国者の人は戦前日本の国策で中国に渡り、敗戦の為日本に帰ることができなくなり、やむなく50年近く中国で苦労をしながら育ち、生活していた人々です。温かく接して頂ければありがたいと思います。
 今でも年に一回地域で交流会をしています。参加希望の方はご参加お待ちしています。一緒に美味しい本場の餃子を作りませんか?
 私は現在、岡山後楽園のガイドと岡山市緑化推進リーダーとして近くの公民館の花木の植栽をしています。昨年から認知症予防の為シャンソンを始めました。歌詞を覚えたりピアノの伴奏に合わせるのが難しく苦戦していますが、継続は力の精神で楽しく笑顔で過ごしたいです。





崎厚生労働大臣と一緒に

東京事務所の人と一緒に