2015年12月17日木曜日

安倍晴明伝説を巡り歩く旅

岡山県浅口市には安倍晴明伝説があります。

退職者会の史跡巡りの企画をするため事務局長の野田と

岡谷県本部の西江さんと2人で2015年12月16日に現地を見に

行きました。

どうしても行きたい場所は、鴨方町阿部山にあるという

「安倍晴明屋敷跡と安倍晴明顕彰碑」

金光町占見にあるという「安倍晴明の墓」

晴明のライバル「芦屋道満の墓」

「道満池の坊主岩」「鬼の手形岩」です。

最初に、「かもがた町家公園」に行きました。山陽道鴨方インターから5分ほどのところにあります。

この公園は、日本の歴史公園100選の一つです。
公園の中核となる町家「伝承館(旧高戸家住宅)」は、1687年に修理をした岡山県下で最も古い貴重な民家で、「岡山県重要文化財」に指定されています。駐車場・トイレ・土産物屋が整備されています。ビデオコーナーがあり、鴨方の歴史が学べます。

公園を出て、遥照山の方に行くと、天文台に行く途中の左側に林道の表示があります。
この林道は最近整備されたもののようで、道幅も広くきれいでした。
林道を渡り終えると、遙照山から阿部山の出ました。狭い道を5分ほど車を走らせると
安倍晴明の碑という古い木の看板が右手にあります。車は3台ほど置けます。
狭い山道を200メートルほど登って行くと「安倍晴明の碑」「安倍晴明屋敷跡」の表示がありました。

そこには、「安倍晴明が天体観測をしたあと」「安倍晴明の屋敷跡」がありきれいに掃除がしてありました。少し離れたところに「安倍晴明の碑」がありました。確かに安倍晴明がここに住んでいたんだなと実感しました。
阿部山の名前は、晴明の「あべ」に由来するといわれています。

阿部山を杉谷池の方から下って行き、山陽道に並走している裏道を通り、金光町の円山公園
に行きました。安倍晴明の墓がこの近くにあるとの情報と駐車場・トイレが整備されています。
円山公園は、広い敷地内に大きい池と桜、子供の遊び場、散策をする人で桜の時期は賑わうそううです。歩いている人に晴明の墓の場所を教えてもらいました。ここから金光駅に近い所です。

円山公園から金光駅の方に車を5分ほど走らせると、中高一貫教育の金光学園があります。
金光学園の正面をさらに北に向かい狭い路地をぬけると池にでます。
この池の土手に20台ほど車を置ける所があります。ここは遥照山登山口になっています。
ここに車を置いて遥照山に登るのです。また、金光学園の生徒は、ここから走って遥照山の
学園のグラウンドまで行くそうです。金光学園の野球部は毎年、甲子園の手前までいっています。

ここから先は道に迷い大変でした。池の辺りを遥照山の方に歩いて行くと、旧登山道の表示がありました。狭い道です。行けども行けども狭い山道で、何もありませんでした。途中でこれはおかしいと思い、元の登山口まで戻ると、用水に沿って新しい登山道がありました。その先に、鬼の手形岩の表示を見つけました。

少し歩くと左側の山の上に「鬼の手形岩」がありました。さらに先に行きましたが、安倍晴明の墓の表示がありません。これは違うとまた元の登山道に引き返しました。

通りすがりの人に聞きながら、何度も道に迷いながら、山の中の別の池に出ました。
その池は道満池だそうです。「道満池の坊主岩」の看板を見た時は感動しました。

池の先は行き止まりでした。また、登山道の入口まで帰りました。

また、通りすがりの人に聞きながら、旧登山道から少し左の方に町の方向、駅の方向に
行ったところに「芦屋道満」の墓を見つけました。そこから100メートルほど離れたところの
民家のすぐとなりについに「安倍晴明の墓」を見つけました。

当初行きたかったところはすべて行けました。「わからない時は地元の人に聞け」
これが今回の教訓です。迷ったら元に戻れは大原則でしょう。

安倍晴明の屋敷跡

屋敷跡のまわりの景色

阿部山の頂上にあった看板

安倍晴明が天体観測をした跡

安倍晴明顕彰碑




やっと看板を見つけた



鬼の手形岩

道満池の坊主岩


芦屋道満の墓


安倍晴明の墓