2015年9月7日月曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑫ ~土岐 隆信さん~



林源十郎商店記念室を作った

土岐 隆信さん(72才)
2003年(平成15年)退職

2015.8.13 林源十郎商店訪問
       (野田雄一郎)






大原美術館の前の今橋を渡り

中国銀行の角を左に50mほど歩くと

昭和9年建築の木造3階建ての

「林源十郎商店」があります。



[野田]          
土岐さん久しぶりです。井笠保健所以来です。
当時は衛生課があり薬剤師として働いておられたと思います。
県を退職後、記念室を開設された経緯を教えてください。


[土岐]          
県立病院退職後、株式会社エバルスでお世話になっていました。
建物が古くなりどう処分するかとなった時、倉敷市からまちづくりに使いたいという話が出ました。
この建物をいかに残すかいかに利用するかとともに、350年余り続いているエバルスの歴史、
そして倉敷のまちを育ててきた、林孚一・林源十郎を世の中の人に知ってもらいたいということで
記念室を開設しました。


[野田]          
倉敷のために活躍した2人の先人のことを教えてください。


[土岐]          
先人の一人は林家の第8代当主の林孚一です。
幕末から明治初めにかけ、一介の薬種屋でありながら、勤王思想を持ち勤王の志士を助け、
長州藩や水戸藩の人を自宅にかくまい、また、困っている人々の為に「続義倉」を立ち上げ、
倉敷県の設立に力を注ぎ、初代の窪屋郡長になり、土木、教育に力を注いだ人です。

もう一人は孚一の孫の第11代当主の林源十郎です。
新島襄を尊敬し、キリスト教徒となり、石井十次を応援し、大原孫三郎を石井十次に紹介し、
陰で孫三郎を全面的に支援した人です。薬種業のかたわら、キリスト教会の建設や、
幼児教育が重要であると考え竹中幼稚園を設置し、また、禁酒運動を行っています。

記念室の主な展示物としては、江戸末期の大きな薬箪笥、ここを訪ねてきた緒方洪庵や岸田吟香からの手紙、林製薬株式会社製造の医薬品やペリー来航時の風説書や似顔絵などがあります。


[野田]          
ところで、土岐さんの退職後の人生を教えてください。


[土岐]          
退職後、11年間医薬品関係の会社に常勤で勤務、その後はのんびりと思いましたが、
設立に携わった「林源十郎商店記念室」とのかかわりから、時々会社に行くこととなりました。
残りの日々は、小さな庭にいろいろな草花を咲かせ、お茶花をお茶席に届けたりしています。
また、国内外への旅行やドライブ、山歩きを楽しみ、県北へ民俗学調査に出かけたりと
毎日が過ぎていきます。

この林源十郎商店には、倉敷帆布のバッグや紙テープなどの小物のお店、世界で唯一のジーンズ生地のスーツのお店やピザのお店などがあり、庭にはいろいろな薬木、薬草を集めた薬草園があります。倉敷にお出かけの時は、お立ち寄りください。





林源十郎商店HP:http://www.genjuro.jp/