2015年1月8日木曜日

新・相生橋 OBだより100号(2015年1月1日号)掲載

寺田廣彦(哲学者)が「明治は遠くなりにけり」と言って昭和10年に亡くなった。その直前明治維新のために功績を残した偉出者を称えた著書を著した。相生橋を書いていた時、高倉健が逝ったニュースのあと、著名人の談話が流れた。その中に、同郷だった山田洋次と五木寛之のことばが印象に残った。本稿に記す「美しい日本」を描いていたからだ。山田は「高倉は戦後貧しい生活と複雑な家庭環境にあったが、決してそのことを明らかさず、本当の人間の生き方の美学を演技で表してくれた」。又五木は「昭和世相の陰と陽と無常さを、美しさに昇華させる役者だった。昭和も遠くなりにけりだね」と。今年は昭和90年にあたる正月を迎える。各位の昭和時代を回顧すると、どんな年輪だったでしょうか。

 美しい日本の特質について五項に分けて述べる。第一は、自然崇拝と自然回帰である▼日本における自然の概念は、奈良時代遣唐使が中国から移入した「中国仏典・老荘経」に求められる。その経の中に無為自然という古語がある。「自然とは人の手が加えられない自ずとあるがままの状態を指し、森羅万象すべての自然を崇拝・敬うことにルーツがあり以降日本人の美徳とされて人々に定着してきたのである▼このことを西洋思想と対比させるとよく理解できる。西洋の自然観は、自然を人間と神から切り離して存在させ、神・人間・自然という階層の底辺におかれている。人間は自然より優れていて、自然や動植物は人間にとって(相生橋 つづき)役立つためにあるのだとされてきた。一方神は人間を超越したものであって、犯してはならないものとされ、いわゆる全知全能神となったのである▼このことから西洋では一神教が流布したが、日本では自然の中に無数の神を見出し、それを敬い崇拝してきた。日本では一部例外はあったが宗教対立による戦いが起こらなかったのである。日本人は集落に鎮守の森を作り社を建て、集落辺地に墓を建立し祖先と共に暮らし、忌みの日には家に霊が回帰すると信じて奉事を行ってきた▼第二は「ものの哀れの美しさ」である。ルース・ベネディクト(米国)という社会学者が、昭和30年日本文化を記述した「菊と刀」という本を出した。これが各大学の一般教養の参考書として流行したことを思い出す。この中の一節に、日本文化の美しさとして、「哀れ」は日本人の精神の高さを示すものだと書いている▼哀れはものごとに感動して発する声や親愛・同情・悲しみを分かち合うことである。また、滅んでいくものに対する共感、時には死者への鎮魂、人の世の無常、弱者への慈愛など日本人の精神の高さを指摘している。西洋人が持つ強さ・偉丈・権力・契約社会・勝者などを価値とする思考とは異なった側面が美しい日本の特質と言えよう。

(次号は、③生④死⑤匠の美学を予定)(R・T)