2014年5月19日月曜日

高退連玉島地区史跡めぐりに参加しました。

5月18日(日)、高退連主催の玉島史跡めぐりに、岡山県職員退職者会から車5台に分乗して、13名が参加しました。総勢50名を超える参加者を5グループ分けし、それぞれにボランティアガイドさんがつきました。集合場所の円通寺で各自、綿植えをし、自分の名札を立て、その後、ガイドさんの案内で円通寺公園を案内してもらいました。
 私達、退職者会は全員第1グループになりました。
 良寛像、かやぶきの屋根の円通寺、石庭、源平合戦古戦場、良寛さんの和歌、芝生の公園を午前中散策しました。
 お昼は、事前に予約しておいた松花堂弁当を良寛荘のレストランでいただきました。
午後からは、なぜか岡山市現業退職者会の4人の参加者も第1グループに加わり、私の不手際もあり道に迷いながら何とか玉島図書館の駐車場までたどり着きました。
駐車場には、心配したボランティアの方が、すでに待機しておられ、西爽亭までドラム缶の浮橋を通り商店街を通って案内していただきました。
 西爽亭とは、備中松山藩主の御座所になっていた柚木家の邸宅。国の登録有形文化財に指定されています。1781年~1789年に建築され、菅茶山によって「西爽亭」と名付けられました。
 熊田 恰(くまた あたか)が自刃し、その飛び散った血を拭いた後が天井に残っています。
説明は、西爽亭当主の柚木爽一郎さんにしていただきました。 
 熊田 恰は、備中松山藩士で、1868年、鳥羽・伏見の戦いの際、幕府方の藩主板倉勝静の親衛隊長として大阪詰で活躍した。板倉候から帰藩の命を受け、備中玉島港に上陸したものの、鎮撫使(明治維新政府が任命した臨時の討伐長官)の討伐を受けた松山藩は、恰の帰藩を認めなかった。事情を知った恰は、行動をともにしている部下の助命を嘆願し、西爽亭で自刃した。
これによって玉島は幕末の戦火を免れたそうです。
 そんな話しを聞きながら、西爽亭を後にし、再び商店街を散策し帰路につきました。