2014年3月18日火曜日

のんちゃんの あの人はいま ⑦ ~ 髙津 弘一さん ~ 



あっ晴れ!おかやま地域文化賞を受賞した

髙津 弘一さん
1992年(平成4年)退職

2013.10.25 自宅訪問



墨彩画家、玉野市文化協会顧問。
玉野市中央公民館定期講座「墨彩画」講師。
また、総合美術団体「玄画会」顧問として瀬戸内文化圏の美術振興に寄与されています。
そんな髙津さんの自宅を訪問しました。


[野田]          
この度は、あっ晴れ!おかやま地域文化賞の受賞、おめでとうございます。
墨彩画を始められたきっかけは何だったんでしょう。

[髙津]          
岡山県労政事務所の勤務になった時、勤労者美術展が二回目だったと思いますが、
作品が集まらなくて、出展のお願いに回っていた時、水墨画の先生の勧めで始めました。
それが現在に至っています。

[野田]          
これまで続けてこられて特に印象に残っていることがあれば…

[髙津]          
勤労者展で労働大臣賞をもらった時の喜びは大きかった。
全国の勤労者展にも出展させてもらいました。
おととし五十回で勤労者展がなくなったのは残念です。

[野田]          
主に玉野市文化協会で講師をされているとのことですが、
そのあたりのお話をしていただけますか。

[髙津]          
退職の時に市の方から、公民館で教室をやってくれないか、との話があり、
公民館二ヶ所で教室をもつようになりました。
小学校六年生の子どもに、お茶、お花、お琴といっしょに水墨画を描いてもらっています。

[野田]          
1月に個展を開催されるそうですね。

[髙津]          
せっかく賞をいただいたので、お礼の意味を兼ねて、個展を開いて皆さんに見ていただくだけ
でなくて、記念に何か描いたものを差し上げようと思っています。

(髙津さんの個展は平成26年1月15日~19日の間、玉野市総合文化センターで開催されました。)

[野田]          
私達後輩に対して何か伝えたいことがあればお願いします。

[髙津]          
趣味や楽しみを早くから持ってほしい。
何でもいいから趣味をみつけてやってみることですね。
私が長く続いたのも、会の世話役をやったからです。
人の世話をするということが、自分のためになっています。
私は、碁も将棋もマージャンもします。
テレビの碁や将棋の番組を見ていても、かじっておけば楽しみが増えます。
何でもやっていくうちに何か自分に残ってくるということですね。

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訪問時に髙津さんから原稿をいただきましたので、掲載させていただきます。
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あっ晴れ!おかやま
           地域文化賞 受賞

玉野市 髙 津 弘 一






平成25年10月3日、あっ晴れ!おかやま地域文化賞をいただいた。
域の文化振興に努めたことでいただけたものだろう。

平成4年に退職した。三年後に玉野市文化協会長に就任した。
以後六期12年務めたが母と病身の妹の介護で会長職を務めることが難しくなって退任した。

県職員になったのは昭和25年5月、玉野労政事務所に。

最初の仕事が同24年度から始まった岡山県勤労者美術展の出品勧奨だった。
この展覧会は争議に混乱している労働者に、美術に触れ合う機会を作って、心にゆとりを持ってほしいとの意から始まったもの。

でも絵具などの材料がまだ出回っておらず作品の募集に苦労していた。

その時に出会った水墨画の先生
「お前も描いてみろ。そうすれば出品する人の気持ちが解るだろう」と。
これが水墨画を描くようになったきっかけだった。

在職のほとんどが地方暮らし、それだけ時間外は割に自由に過ごせた。
それで水墨画が続いたのだろう。

そのおかげで、趣味の水墨画で勤労展の審査員を三十四回展から修了した五十回展まで務めさせてもらった。

勤労展が稽古を始めた初心者達の絵や書が世間に認められるのか、
県展に出来るだろうかといった美術への登竜門として期待されてきた展覧会だけに、
終了したのは残念なことだった。

四十歳台に一番好きだったことが生涯の道連れになると言う。
できれば退職後の楽しみを少しでも早く見つけてほしいと思っている。
退職後の人生もたっぷりあるのだから。


「のんちゃんの あの人はいま」
シリーズ7 95号掲載

「のんちゃんの あの人はいま」
シリーズ7 95号掲載