2017年10月3日火曜日

県職OBだより 第111号 2017.10.1の表紙写真


        「清秋の海」 大林 洋一さん撮影


 大好きな山陰海岸に、秋の気配が漂いだした。
 
 折々に撮影しているが、秋から真冬の情景が最も絵になり、心が躍るのである。

 穏やかに透きとおる水色が、時とともに重く灰黒に変わってくる。

 岸辺に寄せる波も次第に大きくなり、沖ではうねりが声を上げだす。

 岩礁に打ち寄せるその白い波頭が、、季節の移ろいを告げる。

 空は冬までのひと時の青さと高さを見せ、雲と太陽が極美の夕景を演出する。

 そしていつの間にか、北風が吹きすさび、横なぐりの雪が舞う。

 私はこのような自然の変化の一瞬一瞬を撮りたいと、遠路はるばる通うのだ。

 この美しくまた厳しい大自然の、光と風と音と匂いなどを全身に受け止め、

 大きな感動と、生きる力を頂いている。

        鳥取県岩美郡岩美町・平成28年10月撮影(大林 洋一)

2017年10月2日月曜日

新・相生橋 OBだより111(2017/10/1)号

 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」(古今集・藤原敏行)移ろいゆく日本の秋を歌った著名な和歌である。今から600年前の京都で、今と同じような秋の風・虫の音色・山野の色などの自然が残っているだろうか。と訝しく思える▼そう思った理由は、近年の日本を始め地球全体の気象が異常な現象を呈しているからである。最近の梅雨は、カラ梅雨で、真夏日が続き突然ゲリラ豪雨になり、しかも局所的に移っていく大雨が降っている。この原因は、地球温暖化・海水の異常な高温などが指摘されている。これの多くは、人間の生活を便利にするために科学文明の発達によることにもよる。自然をいつまでも残していかねばならない▼自然の世の営みは、平穏であってほしいが、一方この数年の日本の「カタチ」が壊れつつある。と多くの識者が指摘している。これを称して「平成の末法時代*」と表現されている▼政治・経済・治安などが、社会構造の負の側面をかかえ込んで、国民の関心がそれらの部分から離れてしまっている。との指摘である▼主なモノを列挙すると、①政治家の無能力・見識のない言動②安倍首相の政策は、次々とスローガンだけを派手にあげ中身のない具体的政策まで至らず、いつの間にか又新しいフレーズで国民を煙にまいていく③国民の生活実態に対応した社会福祉政策を行うこと④教育政策を大計をもって樹立すること▼日本の歴史では明治維新と戦争を経て、当時の荒廃した世の中から、新しい日本国が成立してきた。この2つの時代の政治家や経済人は、国のために命がけで打ち込んできたから今日の姿がある▲司馬遼太郎とドナルド・キーン氏の日本の文化史をひもとくと、明治維新と大戦から日本が立ち上がれたのは、①官僚が一本の筋に寄っていたこと②官僚・政治家は、公金に手を染めなく、人事権と政策権を分けて国政を行った。今号はまとまらないコラムとなりました。秋の夜半読書でも楽しんでお過ごしください。
*末法時代とは、平安時代後期の7年間、政治、経済が混沌とし、加えて地震の多発・大火災・伝染病の流行などによって民衆が困窮した時代

(H29・9月記 コラムvol.16編 日本コラムニスト倶楽部会員 R・T)

新・相生橋 OBだより110(2017/7/1)号

 去る4月22日㈯岡山県退職者会結成30年記念式典に併せて今年度の総会が開催された。退職者会30年を記念して3年間13回に亘った「四国霊場巡礼記念誌発刊式典」も同時に開かれた▼巡礼は平成24年8月から26年9月で四国巡礼を終え、27年3月の結願詣りで約50名の満行誓願が終わったと記念誌に記されている▼さらに記念誌をめくると共通した感想として、霊場会公認の「先達」から予め各寺院の由緒・特徴などの説明があったことにより、霊場巡りが功を奏したと。また、この霊場が今日でも年々多くの人々を惹き付けていることを通して、祈りと仏教観念の意義を感慨し、また霊場に惹き付けられた、と▼一方、肉親の供養のためとかいま生かされていることに対する感謝とか、仲の良かった友人が、出発の直前に亡くなりその方の冥福を祈る旅となったことなど、この霊場巡礼が参加者に多くの示唆を与える旅となったことを確信した▼さて、日本には、約300の霊場や聖地があり、よく知られた巡礼は、坂東・関東(33か寺)・秩父路(33)・西国(32)・島根札所(36)・出雲(18)等がある。また、神仏習合を反映しようとのことから平成8年3月「神仏霊拝の道」(東大寺に事務局)が結成されたが、これは伊勢神宮を起点として延暦寺を結願とする1600㎞の道であり、近畿2府4県58神社92寺を巡礼する最長の道で、人気が高いという▼西洋・東南アジアにも多くの巡礼聖地があるが、よく知られているのはイスラエルである。この聖地はわずか5㎢の面積の中に、ユダヤ教は嘆きの壁、イスラム教は聖アンナ教会、キリスト教は十字架と聖墳墓教会の聖地があり、世界中の信者が祈りを捧げるが、決して他教の信者とは交わりを行わない(他宗教は敵信者と思っているからだといわれている)▼日本の巡礼旅は、常に自然と共にあり、聖地全体が祈りと誓願の地であることが、日本的であり神も仏も自然も一体感の中に聖地が存在していると思いたい。終わりに私は参加できなかったが、ほとんどの人がすばらしい企画であった、と野田事務局長の労をねぎらうことばが聞こえていました。

(H29・5月記 コラムvol.15編 日本コラムニスト倶楽部会員 R・T

2017年9月29日金曜日

古代吉備国の先進地域「秦の郷散策」に行きました。

 9月28日(木)午前10時、県下各地からサントピア岡山総社に約50名が参集し

秦の郷散策をしました。自治退岡山県本部主催の秋季交流集会として企画されました。

 秦自治会連合会会長の小橋武志さんから地元歓迎挨拶を受け、秦歴史遺産保存協議会代表者の板野忠司さんから概況説明がありました。

 10時15分に、2班に分かれてそれぞれにガイドさんがついて出発しました。

 総社市の関係者の方も同行していただきました。特に、秦歴史遺産保存協議会副会長の
片岡祐平さんには、参加者の杖を用意していただいたり、バスの送迎の段取りをしていただきお世話になりました。

 私の班は、総社市埋蔵文化財「学習の館」の平井典子館長さんがガイドをしていただき
ました。
  
サントピア正面を出て50メートルほど北に向かって歩いていくと案内板がありました。

 用意していただいた杖を片手に坂道を歩きます。その先に「1丁ぐろ古墳1号墳」が見えてきました。ここまでの坂道で、数人が引き返しました。

 4世紀前半に築造された前方後方墳で約76mあります。
 小さい古墳がたくさんあります。
 
 茶臼獄古墳(3世紀末の前方後方墳、約65mを見て、金比羅宮の鳥居を通り山頂に
着きました。

  荒平山城址跡(天守閣を持たない城、1575年に小早川隆景に攻められ落城)で
眼下に高梁川と総社の町並みを眺めながらのしばしの休憩。

 ここから石畳神社までの下り坂は、急こう配ですべって転ぶ人が出て、ゆっくり注意しながら下までおりました。

  ここにサントピアのバスが迎えにきてくれました。

 ここからは、バスで「秦原廃寺」「金子石塔塚古墳」を見学し、サントピアまで帰りました。

 サントピアでバスを降りて、歩いて「秦大ぐろ古墳」を見に行きました。
 4世紀の前方後円墳で全長約63mあります。

   その後は、昼食を兼ねた懇親会を開催し、盛会の内に終了しました。
                        (野田雄一郎)